今日は平成23年12月29日(木)。昨日28日(水)に1号畑の綿の最後の摘み取りをしたあと、綿木をすべて引き抜き、来シーズンに向けての準備に取りかかりはじめました。これで、平成23年の木綿庵での綿づくりは一段落です。
ところで、綿木を引き抜く作業をしていて気づいたことがあります。それは、同じ綿木でも簡単に引き抜けるものと、そうでないものとがあるということです。最初はたまたまなのだろうと思っていましたが、どうやらそうではないようで、なかなか引き抜けない綿木は、4本ある畝のうちの1本に集中していることがわかりました。そして、8ヵ月ぶりにあることを思い出し、おおいに納得した次第です。というのは、今年は一つの試みとして、畝によって元肥の施肥量を変えてみたのでした。
4月に綿の植え付け準備をしているときに、今後の参考にするために、東端の畝に十分な鶏糞と苦土石灰を施し、その他の畝は、鶏糞の量を減らして石灰を多めにした畝、どちらも少なめに施した畝、というように変化をつけました。
また、種の植え付けの時にも、一晩水につけた種、半日だけ水につけた種、まったく水につけない種、というように変化をつけて植え付けました。結果は、発芽に要する日数には違いがでましたが、発芽率そのものにはほとんど影響のないことがわかりました。また、その後の成長にもほとんど大差なく、いつのまにか施肥量に変化をつけたことなどすっかり忘れてしまっていたのでした。
今回、引き抜くのに苦労した綿木はすべて東端の畝のものです。そして、そのことに気づいてあらためて綿木を眺めると、幹の太さに違いのあることがわかりました。たしかに東端の畝の綿木は太いのです。でも、かと言って、綿の収穫量に大きな差があったかというとけっしてそうではありません。
ということは、施肥量は少なめでも十分に収穫できるということで、最後の綿木引きに伴う労力を考えたなら、少なめにしておいた方がよほど効率的だ、ということです。綿木を引き抜くのは、1本だけならまだしも、数が多くなると結構大変な作業です。特に、根が張りすぎている綿木を引き抜くのは、畑作業に慣れている成人男性でも力が要ります(最後は、中学生の息子に手伝ってもらいました)。
この地方では、江戸時代の後半にはさかんに綿の栽培が行われていたそうですが、おそらく当時の人たちも同じようなことを考えならが施肥量を調整していたであろうことを思うと、なんだか私も少しだけその人たちに近づけたような気がして嬉しくなりました。
添付の写真は、すべての綿木を引き抜いた後の1号畑の様子、綿木を燃やしている様子と、綿木の根っこです。


